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紀家弘の女たちは長女児島範長の室となる、─高徳流れとなる。
善法寺通清(紀家弘)と頼宴僧正息児島高徳の関係http://www2.ezbbs.net/cgi/reply?id=yasumati&dd=22&re=322
この紀家弘こそ、善法寺通清その人である。 紀家弘の女が生んだ女が児島尊滝院の頼宴僧正に嫁して生まれたのが、 児島高徳である、この宮家は習いにより、母方に託され、亀山院に預けられ、天皇の後継にと亀山院は遺言したと記す。 この為児島高徳は大覚寺に入り、大覚寺大僧正として、数々の足跡記録を残している。児島法師の異名がある。「太平記」の作者
児島範長の縁戚 東郷胤時はこう記していた、範長は今木範俊の子なりとて 児島と河野は一族にてと、あり本当は今木備後守高長とあり。 紀の家弘の処に居た関係から系図に載せていた。
児島】高徳──高光──正綱──正光──甚九郎満盛ー甚九郎助安
「佐久間系譜」
高徳──高光──正綱──正光──甚九郎満盛ー甚九郎助安ー甚九郎朝次弥平次ー甚九郎信晴ー甚九郎信盛ー甚九郎信栄(正勝ハビアン)ー甚九郎夜須児島宮系へ
明らかに佐久間氏の流れは、五器所系が本流になっていて、高徳流れとは異にしている。
佐久間系譜 満盛ー朝次弥平次高東院葬るー信晴高東院葬るー信盛高東院葬る
ー信栄(正勝)高東院葬る 住職松長剛山氏によれば、 信栄(正勝)の死にあたり、三渕家の者供が殉死したと、話されていた。
紀家弘次女は通清─女紀良子は善法寺通清の娘良子が足利義詮に嫁ぎ、三代将軍義満を生んだことから室町将軍家と深い関係にありました。
この事から、佐久間との関係が伺えるのが?最後の将軍足利義昭が織田信長から追放されて、長州毛利に、流された案内を、甚九郎信栄(正勝ハビアン)がしたと、記録しています。
紀家弘 後光厳天皇の第二皇子。母は、広橋兼綱の娘、藤原仲子。仲子の姉妹の紀良子は足利義満の母で、後円融天皇と義満は母系
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