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近衛中将助安後胤

 投稿者:歴研会  投稿日:2008年 9月26日(金)21時44分33秒
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  藤原助安が姓名ですね。
近衛中将とは、律令官制における職の名前です。いわゆる通名ですね。
従四位下相当の官職ですね。で、前とつくと「さきの〜」と呼んで、もじどおり前の近衛中将、ということになります。
前右大臣とか使いますね。藤原助安は左近衛中将ですね。

中将
左右に各1〜4名。四等官の次官(スケ)に相当する。少将も「スケ」であるので「おお(大)いスケ」と呼ばれた。天平神護元年(765年)2月3日、近衛府の設置とともに、従四位下の官位相当。以後、定着する。当初は1名だったが後に増員され、権官もあり、後には正員は置かれず、権官のみとなる。三位の位階の人がこの職に就くと「三位中将」と呼ばれ、参議の官職の人が兼任すると「宰相中将」、蔵人頭がこの職を兼任すると「頭中将」と呼ばれる。親衛中郎将、親衛将軍、羽林将軍といった唐名のほか、次の少将とあわせて「三笠山」「次将」という別名がある。

児島高徳孫正光の男甚九郎満盛から見えていて、その子甚九郎朝明助安
は備後に城を構えていて、・大洲旧記には、「左近衛中将藤原助安居る 大城なりしや 六
町程へだてて堀の中家 中屋敷という所あり」と記されている。


この佐久間は古来児島宮家の本性で、頼仁親王(冷泉宮・児島宮)代々児島で、高徳(
祖父範長名跡)ー甚九郎満盛ー甚九郎朝明助安近衛「左近衛中将藤原助安」より、満盛朝
明子朝次弥平次になり、甚九郎満盛ー甚九郎朝明助安ー甚九郎朝次弥平次ー甚九郎信晴ー佐久間信盛ー甚九郎正勝不干斎ー甚九郎正成に至り、ここに相伝の隈笹が篠隈(しのくま)になったもの。

南北朝期から、戦国時代には前近衛中将助安と言う公家出身の人の位牌が鹿島山法寿院にある。
鹿嶋城は、築城者や築城年代については定かでない。 資料によれば近衛中将助安の居城
であった。
http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/iyokasima.htm

前近衛中将助安が居城した。鹿島山法寿院に位牌があり、「法寿院殿玄清居士」と戒名が
記されている。 ・大洲旧記には、「左近衛中将藤原助安居る 大城なりしや 六町程
へだてて堀の中家 中屋敷という所あり」と記されている。
http://www33.ocn.ne.jp/~kotaro_mil/iyosumi/towninfo/iyo.htm
 
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