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智泉尼は、順徳天皇の曾孫は紀氏
八四代順徳天皇の孫・尊雅王の息女・智泉尼
北朝、後円融天皇の生母・崇賢門院仲子。
八幡祠官ノ女ハ皆中臈ニ被召仕也。但俗人ノ猶子ニ成也。後円融院ノ御母儀崇賢門院
ハ八幡祠官ノ女也。而ニ広橋大納言兼継(綱)卿猶子ニシテ後光厳院ヘ参ラセケル
ヤ。初メハ三位局トテ中臈ニテ宮仕ハセ給ヒケリ。」
北朝の後円融天皇の御母であらせられる女院・崇賢門院は石清水八幡宮祠官の娘で、広橋大納言兼継(綱)卿の猶子となり、後光厳天皇にお仕えした、とある。『海人藻芥』は、崇賢門院の生前、応永二十七年(一四二〇)に書かれたもの。
『尊卑分脈』の『紀氏系図』や『続群書類従』の『石清水祠官系図』この崇賢門院仲子
』(新人物往来社)の「女院一覧」に、崇賢門院の御名は紀仲子、御父は紀通清、弘和三年(一三八三)四月二十五日院号宣下、応永三十四年(一四二七)五月二十日崩御八十九才とある。
紀通清(号・善法寺)は石清水別当である。通清は『石清水祠官系図』では「道清」「異本通清」とある。
『石清水祠官系図』により、通清(道清)の子女とその生母を調べると、次の通り。
匡清・母は尭清女。
昇清・母は三説記載されてあります。
母行然女[城内類也]。
異本母尚淳女[法師。不審。]。
異本母通玄寺開山聖通。智泉。号清水殿。鹿園寺殿(足利義満)外祖母。[通清室。巫女。]
石清水別当通清娘・仲子は、権大納言広橋兼綱の猶子となり、内裏に出仕して三位局、中納言典侍、梅町殿などとよばれ、北朝の後光厳天皇の寵愛をうけ、後円融天皇を生み奉り准三后となり、のち国母として女院号・崇賢門院を宣下された。『尊卑分脈』の広橋家の系図に、権大納言広橋兼綱の娘として「准三宮・叙二・異本従三位・国母・崇賢門院仲子」の記載がある。
善法寺通清の別の娘・良子は、将軍足利義詮の寵を受け足利義満を生んだ『尊卑分脈』
義満にとって崇賢門院は伯(叔)母にあたる
義満は後円融天皇の従兄弟となる。http://homepage2.nifty.com/HSuga/suukenmonninn.html
永徳二年四月十一日を以って御譲位あり。皇子幹仁親王御践祚あり。即ち後小松天皇これなり。
(伊達)政宗の妻は石清水別当善法寺通清の女(むすめ)なり。而して義満の母も亦善法寺通清の女なり。初代政宗は応永二年(一三九五)九月十四日卒、法名を儀山円孝、東光寺と号したとある。足利時代の人です。
八四代
┌─順徳天皇───善統親王───尊雅王───┬─四辻善成・左大臣
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│ ├─無極志玄・天竜寺二世
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│ 八三代 八八代 └─智泉尼聖通・通玄寺開山
└─土御門天皇──後嵯峨天皇─┐ │
│ │ ┌──昇清・石清水別当
│ ├─┤
│ │ ├──良子★───足利義満
│ 別当 別当│ │ 奥州伊達
石清水別当宮清──────┴──尚清────通清 ├──女・初代政宗室★
後嵯峨院皇胤 │
└──崇賢門院仲子★
│北朝五代
├─後円融天皇
北朝四代│
後光厳天皇
三人の娘が皇統に繋がる?
皇統とは母が皇統である事に由来す。
通親は新帝後鳥羽院の御乳母藤原範子(範兼の娘)と婚姻して名は重子脩明門院。
はじめ範子また親子とも称した。
範子父は従二位藤原範季(贈左大臣正一位)夫通親との間、の子在子が居た。
通親は新帝後鳥羽院の御乳母藤原範子(範兼の娘)範子を娶り、との間の子在子を引き取って養女とした。
養女の在子後鳥羽の皇子を出産(のちの土御門天皇)。
ここには、藤原範兼の孫は在子である。
承明門院在子
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├──────土御門上皇母は在子
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後鳥羽上皇─────順徳上皇母は在子─九条廃帝(仲恭天皇)
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├─────六条宮雅成親王
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└冷泉宮頼仁親王母は七条院坊門局
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