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藤原北家(ふじわらほっけ)とは、右大臣藤原不比等の次男藤原房前を祖とする
藤原 兼信(みや かねのぶ、生没年不詳)備後国の大豪族宮氏の一族
1364年~1365年 - 宮兼信
『太平記』巻三を初見
尊氏・義詮方として活躍した宮兼信(下野入道道仙)は、貞治二年(一三六三)九月、尊氏に敵対した足利直冬の軍勢をその城下に破り、翌年には備中国の守護職を拝領
賛文によると、宮氏は藤原摂関家の小野宮実頼の子孫であって、「小野宮」の小野を略して「宮」と称したとある。http://www.d4.dion.ne.jp/~taguti/doc/kaiho/kaiho1.html
宮氏は本来藤原姓であったが、祖父の高盛公が源姓に替えた」とある
『平家物語』に出てくる奴可入道西寂は宮氏の先祖である」
備後氏(紀臣族 兼清ー兼信ー琳光(備後. 三郎、 祠官)
藤原氏信は上野介に任官して室町幕府に仕えた。生年不詳 - 応永6年(1399年))は南北朝時代・室町時代の武将。兼信の子。通称、下野次郎。
父兼信と共に足利尊氏・義詮に仕え、備後に明極楚俊を開山として護国寺を建立する。
室町時代の人物 |
1399年没応永6年(1399年)の応永の乱で幕府軍として丹波国に出陣して討ち死
上野介家
子孫は「宮上野介家」として備後に大きな勢力を持った。
上野介家として史上に現れるのは、満信(上野介、入道信雄)
児島】高徳──高光──正綱──正光──甚九郎満盛ー甚九郎助安
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