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民部丞助安後胤

 投稿者:歴研会  投稿日:2007年12月26日(水)20時16分18秒
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  孫五郎助安民部左近文安頃織田家

文安三年(1446)佐久間孫五郎助安は、民部丞の官途吹挙状を得ている。『龍興寺文書』
小川乾坤院(知多郡東浦町)蔵の「血脈集」文明十一年(1479)条に「誠栄 サクマ平右
衛門 尾州御貴所(御器所)」とみえる。
永禄七年1564年御器所は佐久間氏の領地で八所大明神の練札に佐久間美作守家勝と佐久間信盛の名が見える。

佐久間甚四郎は清須に引退ける故、此城にて兵粮之用意をし、飽くる春より松平蔵人元康公、足助・梅ケ坪・寺部・西尾・挙母、此城の先規之通り、御支配仰せ付けらる。」と書かれています。
『三河海東記』織田方では専ら佐久間甚四郎が攻略の担当をしていたことになります。
『信長公記』の初期に活躍する佐久間大学

佐久間信盛の家系では、甚九郎助安―甚九郎朝次弥平次―甚九郎信晴―甚九郎信盛―甚九郎信栄というように甚九郎を継いでいるとも言うようです。

、「此時、愛知郡山崎は佐久間右衛門尉信盛が領地なれは、定て、山崎の城ハ信盛守るべし、殊に、信盛は織田家の長臣にして人数持ちと聞へたり。此ノ節、彼が弟佐久間左京ハ善照寺の砦の主将に命セられけれハ、信盛か年齢、尤(モットモ)、壮盛なるべし、今川家の来敵大軍にして、主君信長大切の軍、殊更ニ我領地手筋の場なり、この度に於イてハ別して、諸将を抽んでゝ先手を乞ひ望むべき事にして、己か居城に守り居るべき事にあらじ、然るに此合戦の初中後、信盛が行跡、諸伝記にも、古老の語伝にも其名みへず。(中略)終に其ノ名の見へざるはハ不審なり。」
山崎砦(名古屋市南区岩戸町白毫寺の境内)は、佐久間信盛によって築かれたと『尾張徇行記』
 
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