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人間は人がよければ、うらやましがり、真似をするようになりますね。
見ていくうちに次第に心が傾いていくのです。
始めはどうしても変えるという事は、出来ませんが、長い間見ると、
悪くなければ、次第に心が傾いていくのです。
よい例が神宮皇后の羽白熊鷲退治の話が福岡県朝倉郡夜須町に残っています。
これに、紀元前111年前から〜起源二百年間のあいだの
事情がつづられています。
この羽白熊鷲は原始生活のことを表しまして、山奥に住み狩猟して暮らして
いました。
獲物がすくなくなってきたので、下の平地では稲作農耕が進み、食物が豊富
に実りましたので、羽白熊鷲はそこに目を付けたのです。
これがこの原始民族の醜態です。
下の平地に暮らしている民族は、すでに稲作農耕に参加していたのです。
そこの、葦原の国では、集落が広がっていて、神殿が築かれて、祭祀も行わ
れていたのでしょう。遺蹟から出土している土器に、祭祀に使われたものが
でているからです。
夜須に本当にこた弥生時期神殿があるというのか?
中々信用されないでしょう、それが語るのに、今のあなた方は、原始民族の
醜態です。
おわかりでしょうか、見ていないので、見なくては何も始まりませんね?
それには類比という天の法則でもって、すれば何故か解るのです。
夜須には大木という地名が残っていまして、これは祝詞がわかりやすい
ので、祝詞で調べてください。
その中に大木原のかむづまります、男女二対の神が居られますとしています。
これが神の神殿がこの地だとしているのです。
今もこの神殿地は字名で残っています。
朝倉郡夜須町篠隈の字前田に、神殿地が残っています。
江戸時代に描かれた地図でなければ、現代のものは明治に変えられています。
不届きにも神の土地まで明治天皇は取り上げているのです。
ならまだしも、全土地まで農地改革とうたい、神の領地や河川まで取り上げ
ています。
現代は児島宮の範囲だけしか、残っていませんが、類比した名残さえも、民
営化や道州制にかこつけて、消してしまおうと、企んでいます。
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